行方不明

きのみきのまま

旅先が舞台の映画は見ておいた方がいい

電車が海の上を走り出した瞬間とんでもないところに来てしまったと思った。岡山から高松に向かう途中で、電車って当然のように山の隙間を縫って陸を走っていくものだと思っていたけれど、よくよく考えてみれば高松って四国だ…渡っているのか海を…となった
前回直島に行った時と同じ道中のはず…と思ったけれど、あの時はそういえば岡山側の宇野港から船で向かったのだった。通りで海の上の電車の記憶がないわけだ。
高松からフェリーに乗り、さらに海に近づく。高速艇で35分、発車(発車?)を待っている間は結構揺れると思ったが、走り始めるとあまり揺れない。船の周りの白い水飛沫が美しくて内心子供みたいにはしゃいでしまった。
小豆島は島といえども思ったより大きい。土庄港の周りは至って普通の地方都市という感じだが、少し抜けると海辺の街の空気が少しずつ増してくる。
宿はエンジェルロードの近くだった。どこでもよかったが海が見えて朝食だけでもご飯がついて高すぎない場所を選んだらこうなった。地図で見ただけでは分からなかったがかなり高所にあり、辿り着くのに苦労した。
ただ高所であるからこそ景色は美しく、まだ繋がっていないエンジェルロードもよく見える。
というかエンジェルロードってなんやねん。ネーミングセンスがなさすぎる。大事な人と渡ると願いが叶うという話もカップル客を増やそうとする思惑が見え見えでダサすぎる。なんでこういう観光地はみんなカップル用に鐘を置きたがるのか。伊香保の山にもあったぞああいうの。
道ができるのは潮見表によると早朝から昼前まで。翌朝運が良ければ渡れるだろう。
その日は宿周辺をうろうろと歩き回り、地元のいいカフェでカレーとコーヒーを頼み、帰りにセブンでビールとしろくまを買って風呂上がりに嗜んだ。
旅先で飲むコーヒーはどうしてこんなにおいしいのだろう。普段カフェインが苦手なので基本カフェインレス、飲むとしても夜以外に一杯まで、とかなり禁欲的な生活をしている反動なんだろうか。冷たいキリマンジャロが本当においしくてひいひい言いながら飲んだ。


翌朝、天気の心配も見事に払拭され、雲の隙間から晴れ間が差し込んでいる。台風の噂もあってフェリーが動かなかったらどうしようと心配していたのが嘘のようだ。
部屋の窓からは前日海だったはずの小島との間に道ができているのが見えた。少し寝坊して送迎バスまであまり時間がない。朝風呂と悩んで、エンジェルロードに行くことにした。
海は怖い。大学時代、ふと思い立って早朝に自転車で海まで1人で行ってみたことがある。静岡の海は荒く、太平洋の向こうには何も見えない。じっと寄せては返す波間をひとりで眺めているといつのまにか死について考えていて、恐ろしくなって慌てて帰った。
本当はもっと近場に行くつもりだった。なんなら伊豆くらいでいいんじゃないかと思って宿の予約ボタンを押す寸前までいったけど、あの絶望感を思い出して押す前に考え直した。私が今見たいのは太平洋ではなくて瀬戸内海な気がする。どのような違いがあるか詳細に知らないけれど、直感に従ってたどり着いてしまった。
海の気まぐれによって偶然現れた道を恐る恐る歩く。今朝まで海に浸かっていたはずなのにべちゃべちゃしておらず案外乾いている。すぐそばを透明な波がぐいぐい浜辺を侵食するように押し寄せて来ている。じっと眺めていると意思を感じるようだ。少し離れたところできらりと何かが跳ねている。生命を感じる。海を眺めているとエヴァTVシリーズのラストでシンジとアスカ以外全員LCLの海に溶けてひとつになってしまったのを思い出す。なんで人間ってひとつになりたがるんだろう。
相変わらず海は怖かったが、私の見たかった水辺がそこにはあった気がした。ここまで来た甲斐があった、と馬鹿にしていたエンジェルロードで思った。ネーミングセンスはいまだにどうかと思うが。


土庄港に荷物を預け、少し遠くのオリーブ公園までバスで行く。小豆島はあらゆる固有名詞にオリーブがついている。オリーブ郵便局、オリーブ橋、老人ホームもオリーブ、商業施設が固まっている区画はオリーブタウン。バスに乗っていると思っていた以上にオリーブの木が植わっている。静岡に初めて行ったとき「静岡って本当にお茶畑ばっかりなんだ…」としみじみ思ったことを思い出した。
オリーブ公園はあんまり見どころがなかったけれど(記念館はオリーブとの悪戦苦闘の歴史が辿れておもしろかった)、近くの浜辺から二十四の瞳映画村に渡し舟で行けると聞いて行くことにした。
映画村の存在は知っていたが、そもそも二十四の瞳見てないし(どうして見てないのか)、かなり行きづらそうだしで行くつもりはなかったのだけど、渡し舟というのに興味が湧いてしまった。島を出るのが少し遅くなるかもしれないけど、こういう時は好奇心に従った方が後悔しないで済む。
「渡し舟」という響きから手漕ぎの3〜4人しか乗れないくらいの舟っぽいが、そんな訳はない。ちゃんとエンジンで動く12人ほど乗れる舟だ。ただ私の乗ったことある船の中で1番小さくて1番海面に近かった。走り出すとすぐそこを海面がよぎってゆく。空は完全に晴れて、日差しは暑いけれど吹く風は涼やかだ。思いつきにしてはなんていい体験だろう!顔にあんまり出さないようにしつつも無邪気にはしゃいでしまった。
ここから先は大したエピソードはない。なにぶん映画を観ていないので木造の校舎も大して思い入れはなく、映画の上映もあったから本当は観たかったけどさすがに2時間半以上滞在する時間もなく、ソフトクリームとそうめんを啜ってもう一度舟に乗って帰った。


普段外に出ない理由ばかりこねくり回してどこにも行けないと思い込んでいたが、2日あればここまで来れる。心が煮詰まったと感じたら借金してでも外に出るべきだと思った。まあこれで日常がどう変わるかは、帰った後の自分次第なんだが……


後悔があるとするなら暑さにやられたのか自律神経が狂っているのか食欲が全然湧かなくて食事をあまり楽しめなかったことだ。現地でオリーブ系の料理を食べられなかった…他にもお魚とかうどんとか食べたいものはたくさんあったのに…ただ自宅用に小豆島産のオリーブオイルを買ってきたので復活したら楽しみたい。


帰りの新幹線でこれを書いている。もうすぐ東京に着いてしまう。
次の仕事も慌ただしいんだろうが、しばらくは小豆島の波が心を守ってくれるだろう。
次行きたい場所を考えておこうね。

ぼくらが旅に出る理由

僕が旅に出る理由はだいたい100個くらいあって、と岸田くんは歌っていたけど、私の場合年齢が上がるにつれて旅に出ない理由をあげつらってばかりでせっかくの長期休暇も無駄にすることが多い。特にコロナ以降出不精に拍車がかかってちょっとした外出にもいろんな理由が必要で、ひとりでなんも考えずにとりあえず外に出るみたいなことがなくなった。
そもそも8月末から9月頭に暇になることはだいぶ前から分かっていたし、どうせ暇になるならどこかに出かけるチャンスだとも思ってはいた。ただ8月末は思いもよらぬ打ち合わせが入ったりして休みが取れていなかったのもあって、結局9月に入っても旅行の予定は立てていなかった。
そもそも私はどこに行きたいというのか。旅行に行こうとすると毎回これに悩まされる。普通の観光地にはあんまり興味がなくて、あれが見たいこれが見たいというよりは自然の中に紛れてみたいとか、この街並みを歩いてみたいとかそういうことになる。
なぜか水辺が見たいと思うことが多い。コロナ前に行った琵琶湖の影響もあるかもしれない。でもその時もなぜか水辺が見たいと思って行ったのだった。実家が川の近くにあるからだろうか。ただ実家の川のあたりはなんかやたらフォトジェニックで嘘っぽくて好かなかったんだけど。そういえば子供の頃川をみんなで囲んで手を繋ごうみたいな胡散臭いイベントがあって、胡散臭いなと思いながら知らない誰かと手を繋いだのを今思い出した。昔からそういう子供だったのを思い出すと安心する。
今回も水辺に行こうと思って、ただ湖となると行きづらいところが多いから海辺に行こうと思った。できることなら島がいい。
最初に思い浮かんだのは小豆島だった。大学時代に初めてひとりで直島に行ったとき、かなり良い体験だったので今度行くなら小豆島だなと思っていた気がする。
しかしいかんせん遠い。電車とフェリーで6時間以上かかる。飛行機なら1時間だがそれだと旅に出る意味がなくなってしまう。私が旅に出る理由は結局のところ移動中にあれこれ思いを馳せたり普段思い出さないことを思い出したりするところにある。山の稜線がだんだん近くなってきたり名前の知らない川を渡ったりつまめそうなサイズに縮小された家々に住む人々、街の向こうにきらきら見える海、トンネルとトンネルの間一瞬よぎる田んぼ。いつかみた風景、一度も見たことのない風景。
このところ見る夢は決まって小中高大専とあらゆる時代の友人が一堂に会して見たことある場所に集まっているようなものばかりだった。それは学校だったり会社だったり、どこであるにしろ私たちはあのときと変わらず楽しそうにケラケラ話している。起きた瞬間虚しくなる。もうあの日々が日常になることは一生ない。夢だったらもっといろんな場所に行ったっていいはずなのに、所詮私の夢は見たことある景色で埋め尽くされている。
7月に「君たちはどう生きるか」を見てあまりに訳が分からなかったのがショックだったのをずっと引きずっていて、先日本屋にSWITCHの君どう特集があるのを見かけて買ったんだが、読んで思ったのは「あれは宮崎駿の走馬灯だったんだな」ということ。全ての登場人物は現実で宮崎駿の周りにいた人々なのだという。訳が分からなかったのはお話として見ていたからであって、本当は走馬灯として見るべきだったのだ。
そこまで思考が至ってはたと気付いたんだけど、私の見る夢も走馬灯みたいなものなんじゃないかって。毎晩私のためだけに行われる同窓会で、あった会話なかった会話繰り返して、思い出すのは過去のことばかり。宮崎駿は走馬灯の中ですら新しい世界を創造し続けているのに、私は古い風景を延々と繰り返して虚しくなっている。
早急に新しい景色を見に行く必要がある。自分ひとりで、見たいと思った景色を。

3/15

仕事する上で人の感情に敏感でいると汚い感情ばっか見えていやんなる。相手のも自分のも。見栄とか、自慢とか、逃げとか、保身とか、言い訳とか、あと今ちょっとイラっとしたよなとか、なんか今日機嫌悪いとか。
でも自分のそういう感情にはちゃんと敏感でいてそういうのを悟られないようにしないといけない。
よく思うけど繊細なまま強くなれたらいいのに。辛いことガンガン響くけどその分楽しいことも全力で感じられる、そんな子供のままでいられたらいいのに。

無駄に知識がついたから保身のために鈍感でいることができるようになってしまった。大人になるってずるい。都合の悪いことは気付かないふりでなかったことに。でもわたしは全部知ってるよ。

亜鉛Tシャツを着ろ

ラーメン屋で担々麺を食べた。その店の一番のおすすめだったので。本当は味噌ラーメンとか平和なやつにするつもりだったけど券売機のところで気分が変わった。

運ばれてくるとカレーの香りがする。スパイスの香りを嗅ぐと無意識のうちにカレー、と思う。どうやら花椒の香りらしい。説明にもそう書いてある。

三口食べると全味蕾の機能が停止しお口の中が営業停止になった。すすってもすすっても感じるのは麺の歯ごたえのみ、舌の上では味蕾が縮こまってぷるぷる震えている。かわいそうに。辛くて食べられないというのは何度も経験があるけれど、食べても食べても味がしないというのは初めてだった。味覚障害という言葉が去来する。味覚障害には亜鉛を摂取するといいという知識をなぜか知っている。亜鉛亜鉛と唱えながら味のしない担々麺を全部食べた。

亜鉛といえば高校受験のとき通っていた塾の塾長に一時期「亜鉛ちゃん」と呼ばれていたのだった。期末か中間か、学校の試験の自己採点をしていて、理科のテストでZnが何を表すか分からなかったことを言うとゲラゲラ笑われそんなことも知らんのかと怒られ、事あるごとに会話の端々に「亜鉛」「Zn」を挟まれ、そんなに覚えられないならでっかく「Zn」と書かれたTシャツを毎日着なさいと言われ、おかげさまでこんな歳になっても忘れられずにいる。強烈な塾長だったがカリスマ性にあふれていて、間違えても怒るというより面白がってくれた。面白がられると忘れないし他の人にも知らん間に共有されてるので他の人も忘れない。おそらく亜鉛の話も塾長によって色んな人にばらまかれている。

母親が極度の心配症で私が進学校へ行きたがるのを反対していたから、受験を迎えるに当たって精神的に孤立無援だったときも塾長が強く励ましてくれていた。進学校に行くのに反対するってなんやねん。まあ確かに結構無茶な偏差値だったんだが。

 

その日も朝まで仕事していたので、脳内会議の結果味がしなかったのは寝不足のせいということになった。帰り、味がしないかもと思いつつ口直しにセブンのホットカフェラテを買う。啜ると柔らかないつもの苦味が口の中に拡がる。いつ再起動したんだお前ら。自分の味蕾に話しかける日が来ようとは。

 

ぽぽぽぽぽぽとしか

ベッドが届かない。

 

ここ3ヶ月くらい機械として働いてきたがこのたびようやく人間に戻ることとなった。

「人間としてみなしています」と宣言するように上司は食べ物を与えてくれ、休みを取らせ、私はその時間を使って掃除をし、ものをあまり食べないという選択肢を取りつつ、やるべきことをなし今現在三分の二くらいは人間です。

ものを食べるというのはとても人間らしい行動だというように認識されているけれどどちらかと言えば動物っぽいと思うのはあまり食べるものに選択肢がないからだろうか。特定の場所にずっといると特定の物しか食べなくなるのでどうしても食事というものが生きるための・もしくは効率よく働くための義務みたいになってくる。

「食べることができない」ではなくあえて「食べない」という選択肢があることこそ人間らしいんじゃないかしら。ゆるやかな自殺みたい。おかげで栄養不足の頭でぼんやり恍惚に浸りながら休みを過ごしていた。

休みといってもたった3日のことなのだが。

 

午前中に届くよう手配していたベッドが届かない。もう12時を過ぎた。

 

機械のときならあることないことぺらぺら話せるんだが人間に戻ると途端に何を話せばいいのかさっぱり分からなくなってしまう。これ以上人間に戻らないほうがいいんじゃないか。機械でいるほうがずっと楽にうまくいきていける。

と、思うのを彼がいつも引き止めていてくれるのでまだ人間でいられる。

 

届くのは14時になるという。今日はちゃんと飯を食う。